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Alkes⑥ 柞星ははそのほし そして市ノ瀬日吉神社のははその木

 コップ座アルケスの別名に「柞星ははそのほし」がありました。

 Alkes③でも少し触れたように、「 ははそ」とは一般的にはコナラや近似種のクヌギ・ミズナラの事だそうですが、『儺の國の星拾遺』には別のことが書かれています。

昔は夏至の日に老いも若きも相睦び相和す祭りがあった。これを周の世は さくとよび、秦の世には 臘とした。八百萬神やほよろずのかみの相集う月であったが、後には祖先の霊魂をこの日に一括して祀ることになったのは漢(前二〇二~後八)の世に入ってからと聞く。祖先の命日が如何なる孝の厚き子孫と雖も、相重なり相継ぎ、もって祭りあはすことが出来なくなったからである。それほど極東の民族は祖先の行蹟をよく心に銘じていたのである。この日祭壇に立てる木を さくとし、祖先は“ははそ”と訓じた那珂川に自生する 楊梅やまもももまた“ははそ”の一つであり、古墳の上に植える式例があった。今の神事の“さかき”は後世の代用である。

(『儺の國の星拾遺』p.29太字はnakagawa)

 周の時代の「相睦び相和す夏至の祭り“さく”」が、漢の時代に「祖先の霊魂を祀るもの」へ変化し、その際に祭壇に立てる木の名「(ははそ)」になったと言うことです。

 ははそというのは夏至祭り“さく”からきた呼称なのですね。
 漢字の偏部分を変え、祭の時は示偏しめすへんで祭壇に立てる木の時は木偏きへんとしているあたりにもその事がうかがえます。

 そして那珂川に自生する楊梅もははその一つだと書かれています。
 夏至に祖先を祀る風習の人たちが日本へ渡ってきて、ここ那珂川に居た。と言うことのようです。
(あるいは夏至祭が祖先の祭になった漢代以降に、この地にやってきた人々が祭壇に立てた木ということでしょうか。)
 不思議な話です。
 
 さらに夏至祭といえば北欧の祭を思い起こします。
 いろんな人がやってきてコミュニティを作っていたのでしょうか。

 また、「ははそ」と言えば、和歌では母を連想させる言葉です。
 単なる語呂合わせと解釈されていますが、こういう背景があってのことだとしたら興味深いです。
(って、さすがに関係ないと思いますが。)

 それから、「柞」という字はいろいろな読み方があり、系統がよくわからない字だそうです。
 豊後一宮は柞原ゆすはら八幡宮ですし、いすの木なんて読み方もあります。(あ、これはy音の脱落かな。)

 祭壇に立てる木なら、おそらく現地調達されたはず。
 その土地その土地の木を「柞」として用いたことで、種類がいろいろになったのではないか?なんて思いました。
 
    

 それにしても、「柞」の一つ楊梅といえば、那珂川町の木です。

 町の木の由来となった楊梅の古木は市ノ瀬の日吉神社にあります。

 由来を書いた説明板。

日吉神社楊梅の説明板
日吉神社楊梅の説明板

 この木が町の木になっているのは、潜在意識の中で祖先を感じているからかもしれない、と思うとちょっと感動します。

 また、「ははそ」は後世「さかき」に代用されたとありますが、この神社には「さかき」の一種とされるオガタマの巨木もあります。

 ということは、漢代以降に来た人だけでなくそれ以外の時代の人もいて。
 各時代ごとの祭祀が重なっているかもしれないのですね。この神社には。

 それが種類の違う木が植えられていることに現れているとしたら、興味深いです。

 この神社が大事な場所であることが古木からもうかがえるのですね。

 

 余談ですが、この神社には赤米を栽培する「猿田」の伝承もあり、考えると不思議な場所です。
 (この場合の「猿田」は「棚田・早稲田」などと同じ一般名詞で、神話の猿田彦とは直接関係なさそうですが、のちのちこの栽培法を持つ技術者が習合して、人格神の猿田彦の一部になった可能性はあるように思っています。)

 「柞星ははそのほし」と言う名前は、このような歴史を星に託したものなのですね。
 そして、那珂川の日吉神社に(ははそ)にまつわる歴史が重なっている。
 考えれば考えるほど不思議です。

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