
By Kaldari – 投稿者自身による作品, CC0, Link
コップ座アルケスには春の植物の名前もあります。
田付星 は又蘩蔞星、柞星そして、特に那珂川で茅花星、茅蔞星、石蒜星と言う。“づべら”とは彼岸花の葉の方である。葉ありて花の咲けるを知らず、花燃ゆるとも葉の緑なるを知らず、故郷に祖先の墳墓の何處 にあるかを知らぬ蒼氓 の心であった。(『儺の國の星拾遺』p.50)
箇条書きにします。
- 蘩蔞星
- 柞星
「はこべら」は冒頭の画像のような小さく白い花を咲かせる草花で春の七草の一つ。薬草でもあります。もしかすると春にこの草を摘むことが、大切な仕事だったのかもしれません。だから星の名前になっているのかも。
「柞」はクヌギやミズナラを言うそうです。和歌では「母」を引き出す言葉として使われますね。( ところが『儺の國の星拾遺』では「柞」について別の話が書かれています。話題が逸れてしまうので、この記事の最後に付け加えます。)
(次からは特に那珂川で用いる星の名前)
- 茅花星
- 茅蔞星
- 石蒜星
「つばな」「つばら」も春の代表的な草花ですね。(「つばら」は方言でしょうか?)
春の植物というだけでなく、有用だから星の名前になったということもあるのでしょう。白いホワホワした穂が広がっている光景は見ているだけで楽しいです。
「石蒜」は彼岸花の葉で、ちょうど四月頃葉が消えるそうです。他の植物は花が咲いたりする季節なのにこれは違うのですね。
彼岸花は葉と花が同時に生えないので、「故郷に祖先の墳墓の何處いづこかにあるかを知らぬ蒼氓の心」を表した名と言うことです。この土地には外来の人々もいたようです。
「祖先の墳墓」の発想は「ははそ」にも通じるものがあります。
「ははそ」について
それは殷の時代まで遡る話になります。
殷代から周・秦代に至るまで、夏至の日に老いも若きも相和す祭りがあったそうです。
それが漢代以降は祖先の霊を祀る行事へと変化したのだとか。
そしてその祭礼の日に祭壇に立てる木が「柞」で、倭人が「ははそ」と訓んだとのこと。
「ははそ」というのはブナやナラといった特定の木のことではなく、祭壇に立てる木のことだというのです。
昔は木を古墳の上に植える式例があったそうです。
祖先の霊を祀る祭壇に木を立てていたのが、いつしか祖先が眠る墓地(古墳)に直接木を植えるようになったようです。
また、今の神事の“さかき”は後世の代用なのだとか。
本来は〝ははそ〟の木を用いるべきなのですね。それが何の木かわかりませんが。
ちょっとビックリな話です。
那珂川町の木である
那珂川町市ノ瀬の日吉神社にある、
ということは、この神社は「ははそ」に関連しているとも言えそうです。
この場所で祖先の霊を祀った人達がいたと言うことのようです。
不思議な話です。