仁徳天皇 今は平野大明神と現れ給うなり
彗星の話をしている途中だが、コピーした資料を整理していると標題の文が目にとまったので、忘れないうちにメモしようと思う。
『高良玉垂宮神秘書』に、「仁徳天皇、今ハ平野大明神トアラハレ玉フナリ」と書かれていたのだ。
それで大野城市にある平野神社のことを思い出した。
奥宮に仁徳天皇が祀られているのが以前から不思議だったのだが、平野大明神と関係あるとすれば道理である。
仁徳天皇が祀られていることに関して、平野神社がある牛頸地区の『牛頸郷土史』には二つの説を載せている。
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1、古くからの牛頸の土着の人々の産土神として祀られていた所へ、後に渡来してきた人々によって今来神ほか三柱の神々が勧請合祀された。
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2、中世に日本神話の神々や天皇と結びつけることで神社の格式を誇ろうとする風潮の中で付会された。
『高良玉垂宮神秘書』に沿うなら「1」になろうか。
(個人的には書かれている内容はそれなりの背景があると思っている。)
現在の奥宮は石造の祠で明治16年5月の日付がある。
ご神体の自然石は昭和56年に覆屋が出来たときに遷された物で、近年まで平野神社の本殿に祀られていたそうだ。
(『大野城市史』民族編p.23)
元々山頂に祀られていたが本殿に遷され、石祠が出来覆い屋が出来て再びここに祀られたと言うことか。
境内には天神社があるのだが、祭神が埴山媛だったり、
立派な絵馬堂に興味深い図が奉納されていたり、
アオバズクが渡ってきたり、
何度行っても新しい発見がある神社なのだ。
なお、仁徳天皇が祀られる平野神社は他に福岡市東区香椎・滋賀県大津市など全国にあるようだ。
以前から大野城市の平野神社に興味があったのでつい反応してしまったが、あまりこじつけない方がいいかもしれない。