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Zuhr⑪ 博多の人は太宰府よりもむしろ都府楼の言葉を口にする

中轅星の続きを読んでいきます。

博多の人は太宰府よりもむしろ都府樓(とふろう)の言葉を口にすることの方が多かった。“とふ”とは胡語のdaw(ダウ)、記紀の鳥部(とべ)のことであり、舟ならびにこれを操る人のことであった。“ろう”はrych(リ ク)、即ち湊の管理総帥の要職にある(らう)であるが、後には宴席の座を貸す樓になった。これが中世以後の太宰府の姿であった。

(『儺の國の星・拾遺』p.130)

福岡(主に筑紫地区)の人間は、太宰府政庁跡のことを「都府楼(とふろう)」と言います。私もそう呼んでいました。
西鉄大牟田線の駅名になっていることも大きいかもしれません。
大人達がそう言うので子供達も自然とそう呼び、リレーされながらその呼称が続いてきたのだろうと思います。
(ただ最近は、バス停や町のあちこちにある案内表示が「大宰府政庁跡」なので、若い人はそちらで言うようです。)

菅原道真も漢詩に詠んでいます。
漢詩「不出門」に「都府楼纔看瓦色(とふろうはわずかにかわらのいろをみる)」とありますね。
広く使われていた言葉だったことがわかります。

万葉集には遠の朝廷と詠まれています。

大君(おほきみ)(とほ)朝廷(みかど)とあり(かよ)島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

(万葉集巻三-三〇四)

さて、〝とふろう〟の〝とふ〟〝とほのみかど〟の〝とほ〟とは胡語のdaw(ダウ)で舟及び舟を操る人のことでもあると書かれていました。
舟の「ダウ」とは何でしょう。
今もあるのでしょうか。

試しに“ダウ舟”で検索してみると、次のように書いてありました。

ダウ船(ダウせん、英語:dhow)は、古代からアラビア海・インド洋で活躍した伝統的な木造帆船。主に中東アジア、インド、東アフリカ等の沿岸で使用された。 1本か 2本のマストに一枚ずつの大三角帆(ラテンセイル)を持ち、外板を固定するための釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴。 現在もダウ船は造船され、モーター等の船外機や船内機を動力として使用されている。

(ウィキペディアより)

“ダウ”は帆のある木造船なのですね。

水城は天智天皇が疎水式に舟を通す湖にしたものだという話を以前紹介しました。(zuhr⑩天智帝は磐井がひらいた水城なる瀦水塘を疎水式に船を通す湖にした
当時はこういうマストを持つ船が行き来していた光景が見られたのでしょうか。

ダウ船の画像です。葦北のうたせ舟にちょっと似てます?

インドのダウ船
Boutre indien.jpg
By Hervé Cozanet – http://www.marine-marchande.net/, CC 表示-継承 3.0, Link

タンザニア、ダルエスサラーム近くのダウ船
Dhow.jpg
パブリック・ドメイン, Link

そういえば、この本の別のページで遠朝廷(とおのみかど)の“とお ”も、通古賀(とうのこが)の“とう”も、この「daw(ダウ)」から来ていると書いてありました。
当時、交通の主力が舟だったことがわかります。

この本には舟の話もいろいろ登場します。
枯野→カヌーのこと
二荒舟(有明舟)→葦舟
磐楠船→樟で作った船
朝倉舟→底が浅い舟

などなど。
舟の材料が違ったり、構造が違ったりするのですね。
面白いです。

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