Zuhr⑩ 天智帝は磐井がひらいた水城なる瀦水畓を疎水式に船を通す湖にした

水城を中津、あるいは中大江なかのおおえと言った話の続きです。(前記事参照。)

現在水城跡として土塁が残っていますが、通説では博多湾側に水がためられていたことになっています。

けれども『儺の國の星・拾遺』によれば、博多湾側ではなく上流の太宰府側に水が蓄えられていたとのことです。

真偽は措いておいて、太宰府側に水を蓄えていたケースについて自分なりに考えてみました。
なお、書くにあたり「河川工学からみた水城」を参考にさせていただきました。

堤防の高さというのは、余裕高+越流時の水深+洪水(余水)吐の高さなのだそうです。
堤防の高さが九~十メートルで上部に洪水吐きがある場合、貯水位は六~七メートル程度と考えられるとのこと。(「河川工学からみた水城」より。)

水城跡の土塁の高さも、場所によって違いますが大体十メートル程です。
もし太宰府側に水が蓄えられていたとしたら、水位は六~七メートルより若干高いくらいだったと思われます。

そこで5mピッチの等高線に沿って、水城土塁の高さで太宰府側方向に青い色を塗ってみました。
満水になった水城

濃い青が5mの等高線、薄い青が10mの等高線で満水になったとした水城(中大江)の水面です。



この図を見ると、現在の土塁の高さで満水になったとしたら、筑紫野市二日市~紫付近まで水面が広がることになります。

確かに大きな湖です。
「中津」「中大江」と呼ばれるのも頷けます。

天智天皇はさらにここを疎水式に船を通す湖にしたそうです。

天智帝(六六二~六七一)は、かつて筑紫の国造磐井(くにのみやつこいわい)(四一八~五二八)がひらいた水城なる瀦水畓(ちょすゐたう)を、玄界灘から有明海に疎水式に船を通す湖に切り替える大工事をされた。

(『儺の國の星・拾遺』p.140)

注:「畓」の字が見えない方へ。という字です。

おそらく玄界灘と有明海を船で行き来できるようにしたのだと思います。
朝倉橘広庭宮に行くのにも便利ですから。

ただ、それには解決しなければならない標高差があります。

次の二つの図は、個人的に予想した航路図とその標高図です。

予想航路図
予想航路
(筑後川河口-宝満川-針摺-鷺田川-御笠川-水城-博多湾の大体のライン)

予想航路の断面
予想航路の断面 (標高)
わかりやすいように高さは拡大しています。

地形が現在と同じだと仮定すると、針摺付近の標高が一番高く40mほど。
舟はこれを越えなければなりません。

川岸からロープで舟を引く方法もありますが、ここを越える工夫が「船を通す湖」だったのではないかと考えました。

つまり、パナマ運河におけるガトゥン湖です。

高いところに湖があれば、そこから下流に水を流せます。
閘門を設けることで、船は下から上ってくることが出来ます。

どういうふうに船が高度を上げるのか、パナマ運河の仕組みを解説した動画がありましたので、実際の様子を見てみましょう。
標高40mの針摺峠を越えるには、おそらくこのようなことが必要だったと思います。

それから、智帝の時代に閘門式の運河があったのか?と言う疑問については、610年に隋の煬帝が完成させた京杭大運河の存在が参考になるのではないでしょうか。

京杭大運河と水城の運河は規模が違いますが、閘門式運河の技術は普通に船越の方法としてあったのかもしれません。

時代は下りますが、埼玉にこのような閘門を備えた運河があります。
見沼通船堀です。(「みぬま」筑紫の古代氏族水沼みぬま氏と同じ読み。)

動画では、水門に板を落として閉め、水位を上げて船を通しています。

原理は簡単で、すべて人力です。

これなら天智帝の時代でも出来たのではないでしょうか。

天智帝の頃も、こんな感じで博多湾から船が上ってきたのではないかと思いました。

と、ここまで書いて、またしても大事なことを忘れていたのに気づきました。

それは王城神社です。

王城神社縁起によれば、四王寺山に祀られていたのを天智天皇が現在地に祀ったのでした。

ということは、天智天皇の時代は王城神社は冠水していないことになります。

海面上昇シミュレーションで状況を見てみました。
王城神社が冠水しない水面ラインは次の通りです。
(王城神社周辺が輪中のように堤防で囲まれていれば別です。今回はそこまで考えませんでした。)

地形が現在と同じで、王城神社が当時陸地だったとすると、水面は最大で田中熊別の東西の陵あたりまでになります。
それでもかなり広い貯水池ですが、当時有明海側から太宰府に上ってくる船はこの湖を利用することが出来なかったことになります。

田中熊別の陵あたりまでしか水がなかったなら、そこから針摺までは陸地だったはずですから。

しかも標高差20m程の上り坂です。
もっと高いところに水源がないと水路での移動は難しいと思います。

もし博多湾と有明海を水路で繋いだとしたら、針摺峠あたりを境に有明海側と博多湾側で別々の水源を利用した可能性がありますね。

次の記事で詳しく書きます。

 
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