過去記事で、邪馬臺国の
諫早を押さえておけば、大村湾・橘湾・有明海の三方向の海に出ることができ、大村湾は船団を待機させるのにまたとない地形です。
多良岳には鉄もあったはず。
ここを押さえておくことは、戦略上重要だったことでしょう。
当時の
気になったのは、諫早神社と御舘山稲荷神社。
諫早神社の祭神は「天照大御神・大己貴命・少彦名命」。
御舘山稲荷神社の祭神は「宇迦之御魂神・大宮売神・猿田彦神」。
(「大己貴命・少彦名命」「大宮売神・猿田彦神」という祭神の取り合わせに、「あれ?」と思うのは私だけでしょうか。)
そして諫早神社も御舘山稲荷神社も、元々は“四面の神”を祭祀していたようです。
(御舘山稲荷神社の)山上の北部には巨大な岩が林立していることから、昔は神の宿る神聖な場所、即ち磐座といい、奈良時代には巨岩の一つを「四面上宮」として、四面の神を祀ったものともいわれている。四面の神というのは、雲仙温泉神社の祭神といわれ、諫早神社も昔は四面宮と呼び四面の神が祀られていた
(『長崎県の神社を訪ねて 本土編』p.94/林田秀晴/出島文庫)
四面の神の総本宮は、雲仙温泉神社なのですね。
現在は小浜市にあるそうです。
どうやら雲仙岳を霊山として信仰し、ふもとの村々に
この雲仙岳ですが、普賢神社の由緒記にこう書かれているそうです。
(ただしこの由緒記は新しいもので、いつ書かれたのかわからないとのこと。)
温泉嶽、一名高来峰。太古日本山と称す。日之神の旧都たるを以て也。山嶺五峰あり。九州国魂五神の神体なり。
豊日岳 豊前豊後の国魂にして今普賢山と称し豊日別命を奉斎す。
速日岳 肥前肥後の国魂にして今普賢山と称し速日別命を奉斎す。
健日岳 大隅薩摩の国魂にして今普賢山と称し健日別命を奉斎す。
白日岳 筑前筑後の国魂にして今普賢山と称し白日別命を奉斎す。
奇日岳・豊久士比泥岳 日向の国魂にして今中岳と称し豊久士比泥命を奉斎す。(『長崎県の神社を訪ねて 本土編』p.297/林田秀晴/出島文庫)
びっくりです。日本山!ですって。
しかも「日之神の旧都」だから日本山というのだそうです。
「日之神」とはどなたなのでしょう。
「旧都」ということは「新都」があるはずで、ここから別の場所に遷ったことになりますが、一体どこへ遷ったのでしょうか。
もう頭がグルグルしてきました。
筑紫の国魂を雲仙で祀っていた事も知りませんでした。
雲仙が筑紫の中心だった時期があったと言うことなのでしょうか。
(『儺の國の星・拾遺』には、高木神=タカミムスビの土地と伝わっています。)
地元の方には当たり前のことなのかもしれませんが、初めて聞く話で本当に驚きましたので、自分用のメモとして書いておくことにしました。