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Zuhr⑥ 筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐほどの繁栄隆昌を示している 

最澄が猿田彦命を山王として日枝神社に祀ったと言う伝承の続きです。

前記事でカットした部分を加え、改めて該当箇所を引用します。

紅が来る年、白は去る年である。日本の猿田彦命は古くは赤面白毛の姿であり、これを山王として伝教大師最澄(七六六~八二二)が比叡山の日枝神社に祀った。比叡山の西が京都の賀茂神社であったから、或は春分或は秋分を紅白別れ目の日に祭った由来があったかもしれない。比叡山から見れば、賀茂神社は西方の門である。これは西洋の基督(キリスト)教の伽藍がすべて春分秋分の落日を正面に拝する建築であることを思いあたるとすでに天台、その上は華厳の教えを受けた唐の長安の都で景教の儀式を見聞習得して帰朝したものとみえる。

(『儺の國の星拾遺』p.129~p.130)

日枝神社と猿田彦命の組み合わせだけでも異色の話なのに、さらに賀茂神社と春分秋分との関わりが出てきます。

聞き書きなので文章が整わない印象です。
内容から察するに、赤面白毛の猿田彦命を山王として比叡山に祀ったのは、ユール(白)とフライヤ(紅)を意識しているということのようです。
(ユールとフライヤについてはこちらの記事をお読みください。→Zuhr④ 紅白は北欧由来 紅はフレイヤ白はユール

そして、ユール(白)とフライヤ(紅)が去る年と来る年を渡しあったように、春分もしくは秋分に猿田彦命を祭った話があったかもしれないというのですね。
(文末が「かもしれない」となっているので、この部分は筆者の想像ですが、言外に「今は失われているけれど」という含みがあると読めました。だから今猿田彦命は祀られていないのだと。)

その上に唐突に賀茂神社と景教が出てきます。

比叡山から見て西に賀茂神社があるのは、キリスト教の教会様式に倣ったからだそう。
春分秋分の日没方向に賀茂神社を見るように比叡山に場所を決めたというのです。

賀茂神社と比叡山にどんな関係があるのかと面食らいました。

それで思い出したのが、賀茂神社の元宮は脊振神社だと『儺の國の星』に書かれていたことです。

筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐほどの繁栄隆昌を今に示している。背振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変わって本家本元はまことに寥々りょうりょうたる寂れ方である。

(『儺の國の星』p.68)

脊振と言えば「最澄が脊振東門寺を開基し比叡山に移した」という那珂川町日吉神社の由緒もあります。

つまり、最澄が開いた比叡山と京都賀茂神社は、本家本元が背振山という共通項があるというのですね。(マジか。)

伝承が本当だとすればの話ですので、ここから先は夢物語と思ってお付き合いください。

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賀茂神社と言ってもこの場合は上賀茂神社の方で、比叡山中のポイントとしては四明岳になるようです。

京都上賀茂神社は正しく東に四明岳しみょうがたけを望む位置にある。

(『儺の國の星』p.71)

この話をシミュレーションしてみました。

次の図は今年の春分の日の様子です。

上賀茂神社から見た2019年3月21日の日の出
上賀茂神社から見た2019年3月21日の日の出

上賀茂神社神殿にポイントを取ったシミュレーションでは、社殿の東に小山があって四明岳は見通せませんでした。

そこでポイントを東にある小山のピークにしてみました。

上賀茂本山から見た20190321日の日の出
上賀茂本山から見た20190321日の日の出

ここからだと東に大比叡と四明岳が重なって見えています。
ただ、若干(4度ほど)真東から北にずれています。これは許容範囲なのでしょうか?
全く別方向ではないので、おおよそ伝承の通りと言えるのかもしれません。
(現在の社殿から四明岳を見るのではなく、別のポイントがあったかもしれません。
ちなみに上賀茂神社の旧鎮座地とされる神山こうやまでもやってみましたが、こちらは真西から7度ほど南になります。
なかなかピタッと当てはまる場所がありません。) 

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さらにもう一つ、賀茂神社と比叡山をつなぐものがあります。

それは「比叡」の名の由来になった星です。

冠座を日翳星ひえいのほし、或は領巾星ひれのほしと呼ぶ。やがてこの名はその星座を仰ぎ見る山として、山城の比叡、比良にうつされた。星見の神を日吉と言う。猿田彦の神は西域の星辰の司宰たるSultanスルタンに由来したかもしれない。

(『儺の國の星』p.71)

「比叡」という名は冠座から来ているというのですね。
滋賀県の比良山地も同じだそうです。

比叡は星座を仰ぐ山であり、一方星見の神を「日吉」と言うことから猿田彦神とも繋がるようです。(猿田彦神の諸相の一つに星見の神があります。)

だから「比叡」に星見の神「日吉」こと猿田彦神が祀られることになった、というわけです。

合ってます?
うーん。わかったようなわからないような。。

冠座はまた別名を加茂星かものほしといいます。(『儺の國の星』p.66)

つまり、比叡も賀茂も同じ星座の名前というわけです。

冠座
=加茂星(→賀茂神社の名に)
=日翳星・領巾星(→比叡・比良の名に)
  

冠座の別名と地上との関係


冠座の別名が「加茂星」なのは、製鉄の氏族である加茂氏が夏に蹈鞴の頃頭上に輝いていたのが冠座だったからだそうです。時代はBC2400年頃まで遡るとのこと。(『儺の國の星』p.73より)
「有明海の民族は夏場に蹈鞴たたらを溶かす。」と言う記述もあり、夏に製鉄作業をしていたようです。(『儺の國の星』p.137)
確かに、冠座の季節です。

さりげなく加茂氏が脊振に居たと言っていますね。
背振山に加茂氏が居たとして、いつ頃なのでしょうか??
山頂にあったという賀茂神社はいつから弁財天になったのでしょう。

とりあえずこの本の伝承の中では、比叡山と上賀茂神社にはつながりがあると言うことですね。

あと、全然関係ありませんが、四明岳の四明も星を見る山のことだそうです。
儺の國の星だったか拾遺だったか忘れましたが、筑紫四王寺山も四明山とだと呼ばれていた話もありました。
太宰府の起こりは香椎宮の別院四明院だという話も。

面白いですね。

キリスト教の話がまだでした。

「唐の長安の都で景教の儀式を見聞習得して帰朝した」という部分は有りうると思いました。

キリスト教の一派景教は唐で庇護され、781年には「大秦景教流行中国碑」が建てられるほどでした。最澄が入唐したのは804年ですから、大秦寺(キリスト教の教会)やこの碑を見たかもしれません。

西安の碑林博物館にある大秦景教流行中国碑 パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11783154 西安の碑林博物館にある大秦景教流行中国碑
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11783154

さらに言うと、最澄と同時期に入唐した空海の師に般若三蔵という人がいて、この人は景浄(大秦景教流行碑文を書いた)と経典を共訳する間柄でした。

つまり、空海は般若三蔵を通して景教と繋がった可能性があるのです。
(そしてなぜか大秦景教流行碑のレプリカが高野山にあります。)

そうであれば、空海と交流のある最澄も景教を知った可能性があります。

教会建築様式を知っていて、比叡山と上賀茂神社に当てはめたかどうかはわかりませんが。

なにかこの話は変ですね。
語られていないことがあるような。。
唐津市七山の賀茂神社との関係も気になります。(訪問記はこちら

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