
沙羅星と伽日良星の由来は、「夏至の日に老いも若きも相睦び相和す祭り」「真夏の夜の舞踊」でした。
それはすでに殷の時代には見られ、王朝の交替とともに名が変わりながらも続いていたようです。
沙羅星の方は、周と秦の時代の呼び方を合わせているのですね。
周代の(祚)と秦代の臘で「
ということは、
また、殷代に嘉平と言っていたのを、倭人は「かひら」と読み韓人は「何比羅」と書いた。とありました。
とすると、時代は1世紀から5世紀ぐらい?
(この場合の韓人は、朝鮮半島南部にいた民族のことだと思います。倭人に対応するのですから、中国にあった韓(現在の陝西省付近)はちょっと離れている気がします。)
この祭りと「猿田」の収穫祝いが習合したのだとしたら、やはり弥生時代の話、と言うことになるのでしょうか。