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Zuhr③ 「なかて」とは竿に紅白の布を螺旋状に巻いて神を先導する器

前記事で、獅子座の一部を中国では「軒轅」と呼び、昔の人は「なかてのほし」と言った事を紹介しました。

また、「なかて」とは「時間空間の無明未妙の状を形容した古語」であり、「“とりつぎ” 或は “ひきあひ” など媒酌人的存在」を意味する言葉でした。

「なかて」について、こんなことも書かれています。

“なかて”とは竿に紅白の二条の布を螺旋状に巻いて、神を先導する器である。今も宗像沖島(おきのしま)にこの伝統が守られている。五十年程前は祝賀の祭典の会場では天幕を支える柱にこの様式が採用されていた。

(『儺の國の星拾遺』p.129)

「なかて」は、竿に紅白の二条の布を螺旋状に巻いて神を先導する器でもあるそうです。

竿に白の布を螺旋状に巻いたものというと、これが思い浮かびました。

Ickwell-Maypole05.jpg
By Richard2s at en.wikipedia, CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16477681

宗像の沖島(おきのしま)ではこの伝統が守られているとあります。
サイズがわかりませんが、沖ノ島のどこかにこのような白の竿があるのでしょうか???

白」「神を先導」「宗像の沖島」と言うキーワードから思いつくのは、みあれ祭の時船に付けられる白の吹き流しです。

Amaknowjp [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

でも、螺旋状に巻かれたものではありませんね。

うーん。

・・・。

そういえば現在のみあれ祭は、中世の「御長手神事」を昭和になってから復興したものでした。

その「御長手神事」の「御長手」というのは、そもそも宗大臣の持ち物で、神功皇后の三韓遠征の時紅白の旗を付けて振ったといういわれがあるものです。

織幡神社に伝わっている話を『福岡県神社誌』から引用します。

金崎織機大明神者武内大臣之霊神也神功皇后三韓征伐之時織赤白二旒之旗被付当神宗大臣之御手長

(『福岡県神社誌』織幡神社)

【書き下し】
金崎の織機大明神は武内大臣の霊神なり。神功皇后が三韓征伐の時、赤白二旒の旗を織りて、当神宗大臣の手長に付けらる。

*御手長=御長手
*書き下しと太字はnakagawa 

「長手」は「なかて」から派生した表現ともとれます。

と、いうことは。

現在紅白の吹き流しは青竹に付けられていますが、宗大臣の時は紅白の螺旋模様だったかもしれないのですね。

そしてこの長手は最終的に沖ノ島に立てられたということです。
(参考:「宗像大社の無形文化財」p.4)

みあれ祭の白の吹き流しが宗大臣の紅白の「長手」から来ているとしたら、「宗像沖島(おきのしま)にこの伝統が守られている」と言うことになりますね。

伝承の通りだとすれば、ですけれど。

(ちょっとうがった見方ですが、沖ノ島まで軍事演習をしたのかもしれませんね。思いました。あるいは島までの航路を案内したのかも。
だから長手による先導は沖ノ島までだったとも考えられます。)

さて、紅白の螺旋は「祝賀の祭典の会場では天幕を支える柱に採用されていた」とも書かれています。

今も運動会の入場門やお祭りの時の装飾で見ることができます。
山車の轅や、奉納相撲の土俵の柱、盆踊りの櫓に巻かれていることもありますね。

また、踊りで使う綾棒・荒平の鬼が持つ死繁盛の杖など、手に持つ物もいろいろあります。

山家岩戸神楽で事代主が乗る船も紅白の螺旋模様でした。(一部水色でしたけれど。)

紅白の螺旋は、竿サイズから手のひらサイズまで広がり、神と人の仲立ちとなっていると言うことなのでしょう。

そんな意味があったとは驚きです。

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