北斗七星の別名に
なぜ
北辰 を〝たたのみこのほし〟と古い祝詞に見たことがありました。〝たた〟とは〝なな〟即ち七の胡人風の方言であります。〝みこ〟は巫人 女官で昔は式人妥女 と書きました。美籠星 の名もあり、略して多賀星 があり、あたかも四星を桶に合はせ、三星を嵌 めるべき竹の箍 に見たとも考えられます。(『儺の國の星』p.155 )*北辰=ここでは北斗七星の意味
もともとは「
「たたのみこのほし」では長いので短い言い方に変わったようです。
その名称が二通りあり、
1、「たたの」を省略or「たたの」が脱落して「
2、「たたみこのほし」の「みこ」を省略し「たたのほし」
それが訛って「
(あるいは、全体が縮まりそれが訛って「たがのほし」。)
個人的には、語頭の「たた(なな)」をとって「
「略して
四星を桶、三星を

うーん。
箍というのは普通
三星をつないでも輪にはなりません。線です。
線を箍とみるのは難しい・・・、と思っていたらこんな図を見つけました。
桶の製造風景です。はめられる前の「たが」が長く伸びて無造作に置かれています。
北斗七星の三星を箍に見立てた様子に似ていますね。

北斗七星と対比させてみます。
三星を箍に見立てるのはあり得るようです。
それで思い出したのが仙台にある多賀神社。
箍を奉納する風習があります。
By Bachstelze – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
これを知ったときはダジャレ?と思いましたが、北斗七星を桶と箍に見立てる文化を持っていたとしたら納得です。
(ダジャレ→「
確か、新潟の多賀神社にも箍を供えるところがあったように記憶しています。もっとあるかも。
北斗七星を「多賀星」とよび、北上した氏族がいたのでしょうか。
刳物ではなく結物としての桶の原形はエジプトだそうです。
現在の桶・樽に共通する購造と意匠はローマ期のヨーロッパで発達したそうなので、由来が古いことは十分考えられます。
(参考:「桶の伝来時期と初期形態」石村真一)
日本では、箍をはめる「曲桶」が広く普及したのは平安時代からのようです。
真鍋家のこの伝承はいつ頃のことをいったものなのでしょうね。
そして、桶(北斗七星の四星)のほうではなく箍(同三星)を代表させた言い方なのも不思議です。
「桶星」では無く「箍星」で北斗七星のことになるのは、箍が特徴を表していたからでしょうか???
話を戻しますが、北斗七星を「
天御中主に仕える女神です。
北辰(天御中主)を中心に回る北斗七星(七ぬウミナイ)。
『儺の國の星・拾遺』に北極星を「宮古星」と言う話があります。
宮古島の宮古、岩手県の宮古です。
なんとなく、北極星を目指して北上した氏族の存在を感じます。
そんな人たちがいたとすれば、北極星だけでなく北斗七星も目印だったでしょう。
琉球での「七ぬウミナイ」が「多賀星」として地名や神社に残っているのだとしたら素敵だと思いました。
追記:
道具としての「箍」はエジプトに起源があるようですが、日本語としての「箍」が登するのは中世のようです。
「多賀」に「箍」をあてたのが日本人だとすればとすれば、北斗七星を桶と箍に見るのは神代に遡ることではなく、比較的新しいことかもしれません。
字が違う「
こちらは白鳥座ベガのことです。(『儺の國の星』p.159)