御自作天満宮のほかにも、菅原道真自作の像がご神体と伝わっている神社があります。
鳥栖市酒井西にある天満宮がそうです。
神社の由緒が書かれた掲示板。
これによると、道真の従者として太宰府に来た長谷部武末という人がこの地に居住したことが始まりなのですね。
建暦年間に、武末が形代としてお参りしていた像をご神体として神社が設立されたそうです。(勧請されたのではない。)
ご神体の像は道真自作とのことですが、道真の像とは書かれていないので普通の人物像なのでしょうか。
道真は作詩作歌のほかに彫像を造るようなこともやっていたのですね。
後世の創作かもしれませんけれど。
この長谷部武末と言う人物、持っていた笛が太宰府天満宮宝物殿に納められているそうです。
実在に信憑性のある人のようです。
牛車でご遺体を運んだ一人だったかもしれません。
道真が亡くなったあと酒井村にたどりついたとのことで、安楽寺天満宮を創立した味酒安行とは別の行動です。
それは
鳥栖にはほかにも菅原道真の従者だった人(三澄左近将監時遠)が住んだという伝説があります。
この土地には道真を慕う人たちがいたのでしょうか。
距離的には太宰府に近いですが、他県になるのであまり取り上げられないようです。
王城神社を知ってから、道真が見た太宰府や筑紫を知りたくなっています。
安楽寺天満宮はなく、大宰府政庁付近の大きな寺社は観世音寺や王城神社だったでしょう。
そして天拝山には荒穂神社があり、麓に武蔵寺や塔原寺があったはず。
境内の様子です。
拝殿には立派な彫り物がありました。
狛犬や灯籠です。
これらの石造物、遠目に見ると普通なのですが、アップにすると・・・。
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穴だらけです。
狛犬の前足の間は穴が下の台に達していて、円がはみ出しています。
うまく撮れていませんが、盃状穴が好きな人はここに来たらいいかも、と思いました。
境内の後ろには山下川が流れていて、いい雰囲気でした。