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多賀神社(直方市)①

直方市の多賀神社。
心惹かれる場所です。

『儺の國の星』によると、北斗七星の別名を「多賀星」と言うそうです。
だとすれば、多賀神社は北斗七星の名を持つ宮ということになりますね。

祭神は、境内の由緒によれば伊邪那岐大神と伊邪那美大神。

イザナギイザナミと言えば、北斗七星に擬える話がありました。

「多賀」は北斗七星、「イザナギイザナミ」も北斗七星。
多賀神社は名前からも祭神からも北斗七星の宮なのですね。

ただ、境内の由緒によれば、古くは日の若宮と呼ばれていたそうです。

壽命の神多賀大神は天照大神のご両親にて御社は古く日の若宮と稱す
奈良朝の養老三年に再建し天平八年妙見大明神と稱へた

『福岡県神社誌』にはもう少し詳しく書かれています。

尚社説に述ぶる所精細にして次の如し。創立の年代は太古に亘るを以て詳ならざれども、元正天皇養老三年多治比真人、縣守宿願により鞍手郡司某をして再建せしめたること旧記に明なれば、その再建以来既に千二百餘年の星霜を經たり。
社號。𦾔記に伊邪那岐尊、国土萬物を生成し給ひし天に復命申し給ふと参登り座す時に、此山に寄来給ひぬるに依りて御山を日若の山と稱し、御社號を日若の宮多賀大神と崇敬し奉り、祭禮をも日若祭と云ひ習はしたり。然るを聖武天皇天平年中、僧行基東蓮寺を建立し兩部となりしより、妙見大明神と稱へたるが、後元祿五年時の神職靑山敏文、藩主の命を奉じ上京して禁裏に願ひ奉り、御許を得てもとの多賀大神と改稱し奉る。

*「尚・社・説・述」は原文では旧字体
*文字化けしている方へ
  「𦾔記=旧記」「僧行基=僧行基」です。

(『福岡県神社誌』)

まとめると、

伊耶那岐尊が寄り来たので「日若の山」といい、「日若の宮多賀大神」といった。
  ↓
養老三年に多治比真人縣守による再建があり、その時の社号も(明記されてませんが)「多賀大神」。
  ↓
天平年間に行基が東蓮寺を開き両部(神仏習合)となり、社号も仏教の「妙見」になった。
  ↓
元禄五年(江戸時代)に「多賀」に戻した。

天平年間までに「日の若宮」→「多賀」→「妙見」と変わっています。

多賀も妙見も北斗七星を示す言葉ですが、妙見菩薩と言えば仏教になってしまい、イザナギイザナミ神とは別物です。

地元の人はずっとその事を思っていたのでしょうか、江戸時代に「多賀」に戻しています。
天平時代に「妙見」となって1000年以上経つにもかかわらず、「多賀」に戻したのはよほどのことだと思いました。

*妙見とは、北極星、北斗七星を神格化したもの。

ところで、旧記に書かれている「イザナギ神が天に復命するときこの山に立ち寄った(伊邪那岐尊、国土萬物を生成し給ひし天に復命申し給ふと参登り座す時に、此山に寄来給ひぬる)」は、実際の出来事と言うより何かを象徴したものと考えました。

それで思い出したのが、妙見信仰に先立つものとして「北辰妙見以前は翼が万民の事始めだった」という信仰があった話です。
「翼」というのは彗星に関わる星宿で、彗星を万物の始元と見て北斗七星にかかる彗星の尾をイザナギイザナミの天浮橋に見立てることがあったとも書かれていました。

イザナギ神が山に立ち寄ったというのは、この光景を表現したのではないかと思えました。
彗星と北斗七星の光景だとしたら、これは現実に見られる光景です。
北斗七星と彗星がセットになって見えたことがあり、さらに彗星の尾がこの高台にかかっているように見えたのかも・・・。
そんなことを思いました。

境内の様子を見ていきます。

鳥居から神門までのアプローチ。

社殿。神紋は鶺鴒。

拝殿内部。

拝殿奥の柱に鎮魂唱詞が掲示されています。
一二三四五六七八九十ひふみよいむなやここのたりふるべゆらゆらふるべゆらゆら」
布留の言です。
わお。
すべてを物語っているような。

祭神にちなんだお菓子。かわいい。

現在の社殿は直方藩成立時に移転したもの。

もともとは体育館が建っている場所にあったそうですが、藩主の館を建てるため現在地に遷座したそうです。

それで疑問に思っていることがあります。

現在の社殿は参道が真北から12.3度ほど東にずれています。

元々あった場所(と言っても養老年間に再建された社殿)が現在の社殿と同じ向きだったとすると、このような参道が取れないと思うのです。
体育館と現在の社殿の間には小山がありますから。
この小山が自然地形で、養老年間から変わっていないとすれば、ですけれど。

また、現在の拝殿裏の小山には祠があり、拝殿から拝むと自然と遙拝する形になっています。
この祠も大事なのであれば、遷される前の社殿は南向きだったのではないか?と思いました。

陣屋が作られるときに地形の変更があったかもしれませんので、なんとも言えないのですけれど。

ここが北斗七星を祭る宮であるなら、拝殿から拝む視線の先に北斗七星があるような作りだったのではないかと想像しました。

参道は御殿口から長い階段になっていて、北斗七星を見上げて上ってくるのです。
なんちゃって。

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2件のコメント

  1. 直方に多賀社があるとは知りませんでした。
    とても雰囲気の良いところのようですね。
    滋賀の彦根市方面には、多賀大社があり、そちらもとても神さびた良い神社です。

    https://omouhana.com/2017/08/24/多賀大社/

    京都や奈良ばかりが注目されがちですが、琵琶湖周辺もなかなか良いところがたくさんあります。
    多賀社にご縁を感じるのであれば、足を伸ばしても損はない、そんなところです。

  2. 琵琶湖周辺は古代史の宝庫ですよね。
    はじめは「多賀星」の由来や多賀大社との関係(といっても星の話をベースにした内容)も書いていたのですが、話があちこち飛んでまとまらないので別記事にすることにしました。
    そのうちupしますのでご笑覧いただければ幸いです。
    (追記:書きました。→多賀神社(直方市)② 多治比縣守の宿願で再建 & 多賀大社のこと

    飯塚の日若神社もそうですが、この地域にはイザナギ・イザナミ神の伝承があるようです。
    熊野系とは別の伝承なのですね。考えると不思議です。

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