飯塚市弥山の老松神社。
鳥居の神額は「老松宮」ですが、主祭神は大国主です。
村社 老松神社 嘉穂郡内野村大字彌山字宮の下
祭神 大国主神、大物主神、事代主神、菅原神、吉祥女
由緒 不詳明治五年十一月三日村社に被定。
(以下略)(『福岡県神社誌』)
石段を150段ほど上ったところに境内がありました。
中世なら山城か城館を置きそうな場所。
拝殿内部です。
奥にある神殿扉の両側に随身とおぼしき像が二体ありました。
随身像があるような立派な社だったのですね。意外でした。
境内の様子です。
石祠の摂社が並ぶ中、流れ造りの社がありました。
『福岡県神社誌』によれば、境内社は須賀神社、田神社、日神社となっています。
真っ先にあげられているので、流れ造りは須賀神社でしょうか?
実はこの老松神社、石段下にある一の鳥居はこのようなものでした。
神額に「田天神」とあります。
わざわざ「田」を書いています。
「田」を残そうとしている、と思いました。
「
前記事で「天神」は「田神」の書き換えではないかと思ったのは、この鳥居のことがあったからです。
でも、どうして「田天神」なのかはわかりませんでした。
さて話は全く変わりますが、この集落付近で面白いものを見ました。
桂川町内山田の天神社から長崎街道内野宿を目指していると、右手につっぱり石のようなものが見えて来たのです。
運転中で写真がないのでグーグルストリートビューを。
自然のものなのか人工のものなのかわかりませんが、私には弥山岳を指しているように見えました。
また、十メートルほど離れた場所に何やら石碑があります。
猿田彦かなと思ったら、高木宮でした。
大国主圏かと思いきや、高木神とは。
「弥山」という地名といい、ここは面白い土地でした。
弥山岳周辺には、遺跡や巨石やコウゴイシ(!)などがあるそうです。
いつか見に行きたいものです。
(巨石・コウゴイシは桂川町側にあります。また、案内が必要な場所もあるようです。)