御笠森神社(大野城市)

山田宝満神社の続きになります。

境内摂社の小さなほこらが、地元の方に「元宮様」と呼ばれているところまで書いていました。

この「元宮様」、なんと山田村が御笠の森付近にあった時に祀っていた「三笠森神社」でした。(山田村はかつて御笠の森付近にあったのが、村ごと現在地に移転しています。)

『福岡県神社誌』によると祭神は玉依姫と神功皇后です。

村社 寳満神社 筑紫郡大野村大字山田字實松
祭神 玉依姫命 神功皇后宮
由緒 不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。祭神神功皇后宮は同大字々三笠森無格社三笠森神社として祭祀ありしを、明治四十四年(一九一一)六月一日合併許可

(『福岡県神社誌』中巻/国立国会図書館デジタルコレクション)

また『福岡県地理全誌』には「摂社一御笠森神社(御笠森神功皇后ヲ祭ル)」とあるそうです。(参考:『大野城市巡杖記』p.60)

「三笠森」というのはもちろん「御笠の森」のことですね。
神功皇后の笠が飛んだ話で有名です。→笠が飛んだ話(山田)

山田村は延宝年間に現在地に移転しているのですが、その時「三笠森神社(御笠森神社)」は元の場所に残したようです。
で、移転先には新しく宝満宮を勧請した模様。

それはそうですよね。
三笠森神社(御笠森神社)は御笠の森にあってこそ意味があるのですから。

その後御笠の森は人が居なくなって寂れたのでしょうか、小さな社が残っていたのを明治になって山田宝満神社境内に合祀したようです。
だから「元宮様」と呼ばれているのですね。

山田村の人たちは三笠森神社のことを忘れていなかったのだなぁと、しみじみとした気持ちになりました。

神功皇后といえば、「祈った」「鎧を掛けた」「休んだ」といった小さな逸話にも記念碑のように神社が建っています。

なのに「笠が飛んだ」という出来事があった場所に、神殿拝殿を持つような神社がなかったので、ずっと疑問に思っていました。

やはり堂宇を持つ「御笠森神社」はあったのです。

山田村が移転することなく旧地(御笠の森付近)にあったなら、私たちは立派な社殿を見ることが出来たのかもしれません。

村ごと移転したという歴史があるので、御笠の森は山田宝満神社の社地になっているのだそうです。
(参考:『大野城市巡状記』)

ところで、御笠森にあった神社が明治に山田宝満神社境内に合祀されたとすると、現在御笠の森にある祠はその後また新しく祀られたと言うことでしょうか。

一旦山田宝満神社に合祀されたけれど、ゆかりの場所に何もないのは落ち着きませんものね。

どちらも御笠森神社であることは確かですけれど、元々の祠は山田宝満宮にある方なのですね。

 

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