御陵宝満神社から勧請された五社の一つ、乙金宝満神社。
最近周囲が宅地造成され、すっかり様子が変わっていました。
由来を書いた説明板。
文禄4年の勧請とあります。
中宝満神社は延宝3年でしたから80年ほど早いことになります。
また、ここでは
社殿より一段低い場所に石碑がありました。
向かって右の石碑が気になって、読ませてくださいとお願いしてから字を見ると、「渡神」と書かれていました。
渡神?
聞いたことのない神様です。
このあたりは古墳時代に渡来人のコミュニティがあったそうなので、渡って来た神と言うことかとも思いましたが、結局わかりませんでした。
遙拝所もありました。
中宝満神社の遙拝所は宝満山を向いているようでしたが、この方向は宝満山頂ではないような気がします。
乙金山?それとももっと先の何かを遙拝しているのでしょうか。
あとで地図で精査してみます。
宮座では、毎年10月の第3日曜日に供物と新藁の注連縄を奉納する習わしがあるそうです。
ちょうどその藁が拝殿に準備されていました。拝殿の神額は寳満宮。
市内で一番古い絵馬が現存していたり、地域の方達に大切にされている事が伝わってくる神社でした。
ちょっと気になったのは、社殿の装飾にいろいろな草花があったこと。
以下、箇条書きにします。
その1、16弁の菊
その2、桔梗?
その3、麻
その4、5弁の花
その5、梁の飾彫
16弁の菊は今まで見た宝満神社にもありましたが、桔梗や麻は不思議。神紋でもなさそうですし。
境内からは大野城市内がよく見えました。