千栗八幡宮(三養基郡)

昨日の記事「葛城神社(三養基郡)」に ♥(いいね)とメッセージありがとうございました。
面白い神社と言っていただいて嬉しいです。

(ただいまWordPress.comアカウントがない方用に♥ボタンを試験運用中です。WordPress.comの★いいねボタンも、アプリでは連携しているのですがなぜか本文に表示されませんので。
11/2追記 ♥ボタンはメッセージ機能を外し、どなたでも押していただけるweb拍手として運用。WordPress.comの★いいねボタンと併用することにしました。)

さて、葛城神社から北北西に5kmほど行くと、千栗八幡宮があります。

ここは継体帝17年の創建で、少名彦命を祀る南限だったと言う話があります。

肥前千栗ちりく神社は継體帝十七(五二三)年の創建で、ここが少彦名命を祀る祠の南限界ときく。

(『儺の國の星拾遺』p.207)

けれども神社の由緒はこの通り。
「少彦名命」の文字はどこにもありません。

『佐賀県神社誌要』によると、壬生春成が社を創始したとき聖武天皇の皇子を戴いて祭主としたそうです。
皇子が祭主するほど重要な神社だったのですね。

また皇子下向に際し、出雲大社から随身が付けられたとも書かれていました。
皇子の名は「國玉王」。意味深な気がするのは考えすぎでしょうか。

(参考:国立国会図書館デジタルコレクション『佐賀県神社誌要』15コマ

石段とは別の参道沿いに石祠が集められていました。

ちょっと気になったのがこちらの神様。

うーん。

結局、少彦名命についてはよくわかりませんでした。

石段と手すりが整備されて、きれいになっていました。

この階段で鍛えたオリンピック選手がいました。

見晴らしのいい境内でした。

2019/10/17 追記
「ちりく」について、北斗七星の柄の部分の三星を「散子(ちりこ)」に見立てたところから来ているとする話や、ギリシャ語の3の数え方から来ているとする話もあります。(参考『儺の國の星拾遺』p.208)

[最終更新日]2019/11/04