去年鳥居が建てられて、わかりやすくなりました。
小郡市にある御勢大霊石神社の末社、白鳥神社です。
白鳥神社の祭神というと日本武尊が多いのですが、ここは仲哀天皇です。
白鳥伝説のある日本武尊ではなく、その息子なんですね。
由緒が書かれた説明板。
この神社は、日本書紀の次の記述を真似て池を造り、白鳥を飼った場所とのことです。
冬十一月乙酉朔。詔群臣曰。朕未逮于弱冠。而父王既崩之。乃神霊化白鳥而上天。仰望之情。一日勿息。是以冀獲白鳥。養之於陵域之池。
『日本書紀』j-textより(即位した年の)冬11月1日に、群臣に詔して曰く、「私がまだ若い時に、父王(日本武尊)は既に崩御していた。神霊は白鳥となって天に昇った。父を仰いで慕う心は一日も休むことが無い。願わくは、白鳥を捕まえて、陵域の池で飼いたい。(そしてその鳥を見ながら、父を慕う心を慰めたい)
(口語訳はnakagawa)
つまり仲哀天皇を慰めるための施設だった、ということになります。
なぜこの場所で仲哀天皇を慰めるのでしょう。
本社である御勢大霊石神社の伝承では、仲哀天皇の熊襲征伐の際、行宮をこの地に設けたのだそうです。
とすると、行宮に附属する施設だったのでしょうか。
日本武尊もまた筑紫にいた熊襲と戦った人でした。
もしかすると、父の勝利にあやかるような背景もあったのかも?なんて思いました。
仲哀天皇直々の施工だったのか、それとも誰かの発案だったのかはわかりませんが、この地に仲哀天皇を慰めようとした人が居たということは確かなようです。
それが面白いと思いました。
小さな社ですが、大事なことを伝えているように思いました。